天からの贈り物。
昔々、デザインに関わる仕事をしていた時収集していた資料の一部、
雑誌の切り抜きがぽろりと出てきた。
もう10数年前のものだ。
島に暮らしてから数年たった頃、やっと過去の仕事への執着もなくなり
今後デザインの仕事は一生しないであろう・・と思えた時に資料は一切処分した。
出てきたその切り抜きは、捨てずにその際何かに挟み込んでいたもの。
それは、小説家・森瑤子さんの当時の連載エッセイの切り抜きだった。
ワタシは、昔いつもココロに残った言葉や文章を残しておく癖があった。
エッセイは、自身の経緯を含めながら「一芸に秀でる」ということについて書かれている。
「秀でるためには、血の滲む努力の他に、そのことが好きで好きでたまらなければならない。
好きで好きでたまらなければ、血の滲むような努力も苦しみでなくなる」
そして、人には誰でも「何か一つのことを好きで好きでたまらないほど好きになれるもの」
という生まれつきの贈り物を天から等しく与えられている・・という内容だった。
森瑤子さん自身は、
「35歳のある日それが(小説を書くことだと)ある日ふっと、突然に分かった」
という。それまで子供の頃からの
プロを目指そうと17年もの間我慢に我慢の練習を重ねたバイオリンの道は、
血の滲むようなただ虚しい時間だったというのだ。
バイオリンをやめてからの15年間自分を役立たずの様に感じていた森瑤子さんは、
35歳のある時、小説を書いて賞をとり、小説家になった。。
実は最近、ヒトが持って生まれてきたもの・・について私も考えていたのだった。
仕事にしても芸の才能にしても、
生まれついて持ってる可能性は、誰でもすべて平等なんだろうか・・。
いくら考えても否・・・・。ひとりひとり容姿が違うように、
生まれつき与えられた贈り物や可能性も多岐に渡り、それぞれに違うんだと思う。
その贈り物である「好きで好きでたまらないもの」
血の滲むような努力が苦にならない程の自分のソレが、いったい何なのか・・・
それを自分の中に見つけていくのも、人生の修業であり宝探しなのかもしれない。
さて、7月から研修生として頑張ってきたジュリは、
今後はファンダイバーとして海にかかわって行きたいとの結論を出しました。
海と関わっていきたい・・・という自分の可能性の中に、
「ダイビング(海)を楽しむこと」と、
「ダイビング(海)の仕事をすること」への
大きなギャップを見いだした様です。
研修中、温かい目で見守って下さったゲストの皆様、どうもありがとうございました。
海という自然や様々なゲストさん、そして自分自身と向き合いながら人の命を預かる「海の仕事」には、
人によっては血の滲むような努力やココロを鍛えることも必要。
毎日の一瞬一瞬 気がぬけなくて時にはキツイけれど、それらを上回る程、
辞めたくてもなかなか辞められないくらいの喜びと得るモノがある。
でも、それはどんな仕事に限らず、自分への天からの贈り物を見つけられれば、
誰もがそうなのかもしれない。
このエッセイの1ページを切り抜いた若かりし頃のワタシも、
その当時、まだまだソレをみつけることが出来ていなかった。
彼女にも早くソレが見つかるといいな、と思う。
今は亡き森瑤子さんのこのエッセイの最後はこう書かれている。
「それが何であるか、なかなか見つからないことがある。
ワタシもそうだった。
35歳までわからなかった。
35歳のある日、ふっと、突然にわかった。
もっと早くそれが見つかる人もいるし、50歳でもまだ見つからない人もいるかもしれない。
ほんとうに見つけたいと思えば見つかるし、そうでない人がいても別にかまわない。
それぞれの人生だもの。
私個人のことで言えば、みつかってよかった。
35歳までの血の滲む様な虚しい人生を補って余りある。
年をとることを恐れなくなったし、去年より今年の方が、
今年より来年の方がずっと良い年だと思いながら生きてきたし、
これからもずっとそうだと思うから。」
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